新潟日報『展覧会へようこそ』欄に展示情報が掲載されました

「散下」2003年

 

新潟日報『展覧会へようこそ』欄に現在開催中の砂丘館の展示情報を掲載していただきました。
以下引用いたします。

 

『梅田恭子展「ツブノヒトツヒトツ」 (砂丘館) 繊細さと強さ 版画の宇宙

 砂丘館では、画家・版画家の梅田恭子が2003年発行の季刊『版画芸術』122号の付録として制作した、銅版画『ツブノヒトツヒトツ』全105点を展示している。
 同紙は06年まで毎号1人の版画家の版画を袋とじにして添付していた。それを105種類も制作したのはおそらく梅田だけだろう。総計約7000点を、梅田は1年をかけて制作し、自ら刷った。雑誌という綿毛で宙に舞った105点は、日本中に散らばった。本展では梅田が自ら言葉を書いた紙片30点と、それらに先立って制作された8点を加えた143点が一堂に会した。
 そうした出自ゆえに画面は小さい。繊細と強さをあわせ持つ線、崩れが動きになり、嵐となり、同時に沈黙を感じさせる版画は105の星の105の海の、森の、夜の風景のように違っている。
 構成された配列に沿って、一点一点を見ていくと、意外にも言葉に強く働きかけられる。
 言葉とは紙片の言葉、版画に付されたタイトル、小さい、うすい漢字カタカナ混じりの梅田の字などを差す。ここに引用しても、味わいが十分に伝わらない、と思うのは、それらが版画や全体の構成などとともに見られ、読まれることで、独自の声となり意味に入りきれないものを乗せて、こちらに浮遊してくるからだ。
 しかも、ちょうど雪降る夜に運転すると、ライトに照らされた雪粒が、弧を描いて彗星のように近づいてくるが、ぶちあたると思う瞬間に軌道をそれてゆくように、それらの言葉は読み手である私を、直前でそれてゆく。面白いと思うのはそこである。
 版画のイメージは密度濃く、強烈だが、その強さが、画面の小ささ、言葉の作用などで、劇的、深刻、重さの地層からはがされ、軽量化し、可動化している。あたかも作者は、絵と言葉によって、真剣に何かを言おうとしているのだが、同時にその何かが声高にならず、明確に伝わりすぎないように全力を費やしている、そんなふうに見える。
 自己宙、と書かれた紙片がある。ジコチュー(自己中心)の狭さが、同時に宇宙の広さであるとも読める。版画集の付録という狭い通路を通って、このふしぎな宇宙におどり出た、梅田らしい造語だ。
 砂丘館ではほか、和室などに新作ドローイングがあわせて展示されている。

(大倉宏・美術評論家)

■梅田恭子展『ツブノヒトツヒトツ』は3月21日まで、新潟市中央区西大畑町の砂丘館で開催。5日午後2時から作者によるトーク、6日午後4時から堀川久子さんによる舞踏がある。 』

 

執筆:大倉宏氏  新潟日報 2016.2.27